イギリス鉄道の旅

その」)英国鉄道のたびに魅せられて
その2)憧れのペニン越え・その1(スカボロー・リバプール線)
その1)憧れのペニン越え・(マンチェスター・シェフィールド線
その4)行きたくなっっちゃうスコットランド
その5)スコットランド西端を目指す旅
その6)スカイ島への旅・インバネス・カイル線
その7)セトル・カーライル線
その8)フォース橋を訪ねて
その9)北海沿岸 
その10)南ウールズ


英国の鉄道が大好きで実際に全線網羅達成の角田昌夫様から原稿を頂きましたのでご案内させて頂きます。

「イギリス鉄道の旅;その10」

 南ウェールズの谷を走る        (文責)角田昌夫

 私の「シリーズ;イギリス鉄道の旅」も、いよいよ最終回を迎えた。掉尾を飾るにふさわしい路線として選んだのが、南ウェールズを走る線である。

かつて南ウェールズには数々の炭田があり、高カロリーを誇る「ウェールズ炭」は、広く海外にまで輸出されていた。これらの炭田と輸出港を結ぶ路線が、南ウェールズの谷を網の目のように走っていた。その有様は、わが北九州の鉄道網に似ていた。

旅の出発は、南ウェールズの中心地「カーディフ」である。ほとんど全ての路線が、カーディフに集中しているからである。初めに往年の名画「我が谷は緑なりき」の舞台となった「ロンダの谷」を、訪れることにした。「カーディフ中央駅」のホームに待機するのは、第二世代の「ペイサー型ディーゼルカー」である。例によって、最後部の窓際に席を占める。中央駅を出発した列車は、しばし市街を見下ろしながら高架を走る。下を走るロンドン方面への本線と分かれると、左にカーブを曲がり「カーディフ・クイーンズ・ストリート駅」に着く。この辺りはカーディフの繁華街で、大小のレストランや店が並ぶ。

右に「Rhymney」方面への路線と分かれると、まもなく列車は緑豊かな郊外に出た。昼間の車内は乗客もまばらで、駅ごとの乗り降りもすくない。「Radyr」の手前で、左にカーディフから来る別の路線を合わせる。そろそろ丘陵地帯に差し掛かったのか、ディーゼル・エンジンの響きが一段と高まる。前方には、ウェールズの山波が見えてきた。いよいよウェールズの谷に分け入った列車は、谷底を右に左に縫って走る。前方に二つの谷の合流点が見えてくると、列車は「Pontypridd」に着いた。これから目指す「ロンダ(Rhondda)」の谷が、左に顔を見せている。かつてロンダの谷に大小30数ヶ所の炭鉱があった頃は、この駅には常時列車の出入りがあり、構内には側線が網の目のように走っていたそうだ。今日でも使われていないホームが、荒れ果てたまま残されている。

 さて列車は、いよいよ左の「ロンダ」の谷を遡る。谷は徐々に狭まり、両側に山が迫る。途中の「Trehafod」には、かつての炭鉱地帯の生活を保存・再現した「ロンダ・ヘリテジパーク」がある。更に谷を登ると、両側には緑に覆われた山が間近にせまる。産業革命が華やかな頃は、谷の空は煤煙に覆われ、川は汚水で濁っていた。その情景は、ジョン・フォード往年の名画「我が谷は緑なりき」に描かれている。炭鉱が閉鎖された今、山に緑が川に清流が戻ってきた。人々は炭鉱の景気と引き換えに、自然を取り戻したのだ。

列車は、さらに谷を登り詰める。視界が突然開けると、幅広い谷の奥についた。緑に覆われた谷の底には、真っ白な住宅群が鮮やかに浮かび上がる。カーディフから1時間半で、終点の「Trehebert」に着いた。

 ホームの端に立って前方を眺めると、かつての線路跡が稜線に向かって延びている。緑なす高原一帯は、今日「ブレコン・ビーコン国立公園」に指定されている。駅周辺を散策した後、折り返しの列車で往路を引き返す。途中で下車して、「ヘリテジパーク」を見学する。帰路の列車を待つ間に、ホームで二人連れの男性と話す。かつて炭鉱夫として働いていた二人は、炭鉱華やかりし頃の思い出を話してくれた。空が煤煙で曇ったこと。列車が絶え間なく出入りしたこと。長期のストライキを全員で戦い抜いたこと。想い出は尽きないらしいが、残念ながら列車が到着した。

列車に揺られながら今は谷を埋める緑の山野を眺めると、私は思わず「我が谷は再び緑なり」と呟いていた。

◎ この他にカーディフを中心に、「Rhymney」線「Merthyr Tydfil」線、「Aberdare」線、「Coryton」線など、かつての「網の目路線」の名残りを見ます。いずれも緑豊かな谷を走る路線であり、ぜひ皆さんの「一乗」をお勧めします。

イギリス鉄道の旅; その9

「イギリス鉄道の旅;その9」

北海沿岸ローカル線の旅         (文責)角田昌夫

 イングランド北東部のスカボローは、たびたびの訪問で私の第二の故郷になった街である。そのスカボローと、ハンバー川に面した港「ハル」を結ぶローカル線がある。地図を見ると、スカボローを発した線路は、しばし北海に沿って走っている。これは鉄道フアンの私には、見逃せない路線である。スカボロー滞在の一日、この路線に乗ってみた。

朝ホテルを出て、スカボロー駅へ向かう。北海の保養地として多くの観光客が訪れたスカボローには、かつて多くの路線が集まっていた。押し寄せる合理化の波で大半の路線が廃止され、今日ではヨークとハルへの2路線を残すのみになってしまった。一部の線は「ノース・ヨークシャムアー鉄道」として保存され、ボランティアの手で運行されている。今は2面を残すのみのホームへ出ると、一番ホームの前方に「ハル行き」の列車が停まっていた。車両はヨーク方面の新式「スプリンター型ディーゼルカー」に対して、こちらは旧式の「ペイサー型」である。例によって、2両編成の最後部窓際に座を占める。車内は人影もまばらで、見るからに赤字路線を思わせる。

8時53分、列車はスカボロー駅を発車した。かつての広大な構内跡を走ると、列車は緑の郊外に出た。左手の丘の上にある記念碑を眺めると、まもなく列車はヨーク方面との分岐点「シーマー」に着いた。ホーム一面の無人駅を出た列車は、右のヨーク方面と分かれて一路南下する。沿線は、緑一色の田園地帯である。列車の進行方向が東に変わると、前方に銀色に光る北海が見えてきた。次の停車駅は、北海に面した「ファイリー」である。この地もかつては保養地として栄え、ロンドンからの直通列車も出ていたという。今は寂れた駅舎だが、ホーム2面を覆うドーム屋根は鉄道記念物に指定されているという。9時07分に発車した列車は、再び内陸の田園地帯を走る。第二世代のディーゼルカーになる「ペイサー型」は、車体も老朽化してきたようだ。おまけに2軸の台車で上下振動が激しく、「ノッディング・ドンキー(首振りロバ)」なるあだ名を頂戴している。この辺りは寒村地帯なのか、人家も見当たらない。もちろん乗客もまばらで、昼間の乗り降りが少ない超ローカル線である。進行方向が南から東へ変わると、再び北海が現われた。9時29分、列車は沿線最大の街「ブリドリントン」に着いた。ここも保養地として、ロンドンから直通列車が訪れた場所だ。4面のホームに側線を持つ構内は、かつての鉄道全盛時代の名残なのか。駅から徒歩10分で着く海岸は、長く延びた遠浅な砂浜だ。列車は内陸に入ると、一路南下して走る。ただ緑一面の沿線は起伏にとぼしく、単調で日本の山線を乗りなれた私には刺激が薄い。逆に自然一色の風景は、北海道を除いた日本に見られない貴重価値がある。

沿線にはチラホラ人家が現われると、9時57分に、列車は「ビヴァリー」に着いた。若干の乗り降りの後、列車は「ハル」を目指してひたすら走る。

市街地が現われると、10時14分に終点の「ハル」に着いた。ハルは「ハンバー川」に面して、古くから貿易港として栄えた。本来の名称は「キングストン・アポン・ハル」だが、単に「ハル」と呼んでいるようだ。かの「ロビンソン漂流記」の著者「ダニエル・デフォー」も、この地にゆかりの人物である。

列車は巨大なドームを戴いたホームに到着し、1時間21分に及ぶ超ローカル線の旅が終わった。

◎なお、帰路はセルビー経由でヨークへ出て、再びスカボローへ戻るコースも可能です。

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「イギリス鉄道の旅・その8」

「イギリス鉄道の旅・その8」

フォース橋を訪ねて            (文責)角田昌夫

 スコットランドのエディンバラから北へ向かうと、列車はすぐに幅広い入り江に差し掛かる。この入り江「フォース湾」に架かる鉄道橋が、建造以来100余年を経た「フォース橋」である。1890年に完成した全長960mの橋は、海軍省の要望で軍艦が下を通過できる高さ120メートルに設計されたという。今から20数年前に初めてこの橋を通過した時は、見下ろす水面に逆巻く潮が轟々と流れる光景に感動した。二度目に通過した時は、エディンバラ側の岸に白壁の瀟洒なホテルを見つけた。以来この橋の下に行き、ホテルを訪れるのが私の夢となった。

1998年5月26日、いよいよ、フォース橋訪問の日を迎えた。カーライル駅前のホテルを出て駅に向かうと、エディンバラ行き列車がやって来た。この列車はディーゼルカー編成で、西海岸本線を走る。8時48分に発車すると、一路北上する。カーステアでグラスゴー方面と別れると、逆走した列車はエディンバラを目指す。10時31分に、早くもエディンバラに到着した。この列車は、グラスゴーに寄らず、途中から近道をとるので早いわけだ。

エディンバラはこれで4度目だが、まだ一度も見学したことがない。トイレに寄り、昼食のサンドイッチを仕入れ17番ホームへ向かう。各駅停車に乗りエディンバラを出発すると、20分で3ッ目の駅「ダルマニー」に着く。ホームの前方にはフォース橋の鉄骨が見えているが、そこまでたどり着く道がわからない。無人駅とあって、道を聞こうにも駅員がいない。ホームにいた青年に聞くと、いったん下へ降りて右手方向へ行けと言う。急な坂道を降りると、下に道路があった。教えられたとおりに、右に曲がって歩く。近くまで来ているのに、木立に隠れて橋が見えない。とりあえず橋の方向を目指し脇道へ入ったが、まもなく行き止まりになる。とある家の前に男性を見つけたので、声をかけてみる。突然現れた異国の者に、彼はいやな顔一つ見せず丁寧に応対してくれた。再び元の通りに戻ると、道の真中にヘルメット姿で道路工事中の3人組がいた。彼らは親切にも、わざわざ機械を停めて道を教えてくれた。この先きに遊歩道があるので、それを左に行けと言う。両側をうっそうとした木立に囲まれた遊歩道は、昼なお暗く物騒な感じだ。果たせるかな、先方から黒い犬がやって来た。しかしイギリスの犬は良く訓練されていて、こちらを見向きもしない。木立の先きに橋の橋脚が見えてきたかと思うと、道は橋の下をくぐっている。見上げる橋は中天に聳え、橋の巨大さがわかる。橋脚の上まで足場が組んであるところを見ると、どうやら工事中らしい。木立の中には作業員のプレハブ住宅や、工事用機械が見える。完成以来100年を経た橋は、ただ今修復中なのだろうだろう。

いったん橋の下くぐると、道は階段になってフォース湾に降りる。木々の間から灰色の海が見えてきたかと思うと、海岸に着いていた。ついにフォース橋の全容が、目の前に開けてきた。中央部を鉄骨で囲まれ、はるか対岸まで真っ直ぐに伸びた橋は、写真で見たとおりの姿である。折りしも轟音を響かせて、遥か頭上をディーゼルカーが通過する。見上げるとプラモデルのような列車が、老朽化による速度制限のため徐行している。遥か彼方の対岸には、家並みが霞んで見える。左手には近代的デザインの道路橋が、大きく入り江をひと跨ぎしている。驚いたことには、100余年前の橋の建設時に日本から参加した技師がいたという。"フォース橋にペンキを塗る"という諺は、永遠に終わりがない仕事のこと指す。聞けば、3人の専任作業員が7年掛けて橋を塗り終える頃、また初めから塗り直すという。

岸辺に建つお目当ての"ホテル"に入り、ビールを注文する。パブの窓からは、入り江を横断するフォース橋の全景が見える。おまけに、この部屋は"宝島"で有名な"スティンブンソン"が、愛用した部屋だと分かった。この部屋に座った彼は、入り江を眺めながら著作に専念したという。3度目にして宿願のフォース橋訪問を果たし、満ち足りた心で帰途に着いた。


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英国鉄道の旅・その7
                 セトル・カーライル線        文責(角田昌夫)イギリスの鉄道で最も風光明媚な路線として人気が高いのが、この「セトル・カーライル線」である。スコットランドの国境に面したカーライルを出発した線は、ペニン山脈を斜めに横断して麓のセットルに達する。この間には点在する寒村以外に大きな集落はなく、麓の田園地帯からぺニンの山岳地帯へと、自然豊かな風景が変化する。イギリス滞在の折り、この線に乗る機会を得た。
カーライルに1週間ほど滞在した某日、早朝ホテルを出てカーライル駅に向かう。大きな駅の片隅に、セトル方面のホームがある。すでにディーゼルエンジンの音を響かせ、「スプリンター型ディーゼルカー」が入線している。車内は乗客もまばらで、席は選り取り見取り。例によって、最後尾の窓際に座る。
9時27分、列車はカーライル駅を離れた。
列車はしばしロンドン方面へ向かう「西岸本線」に沿って走るが、まもなく本線をオーバークロスして、左に別れる。次にニューカッスル方面の線を左に分けると、美しいペニンの麓を走る。左から現れたのは、エデン川である。列車はその名も美しい「エデンの園」を、ペニン目ざして走る。
エデン川を渡った列車は、川を右手に見ながらひたすらペニンの分水嶺をめざして登る。実は10数年前に通過した時は、ディーゼル機関車牽引の客車列車だった。長い連続勾配を、列車がゆっくり登っていったのを覚えている。今回は、強力なエンジン搭載のスプリンターである。長い勾配を、速度を落とさずグングン登る。10時34分、アップルビーに到着する。今日の空はイギリス特有の雨模様だが、駅にはアノラックにザックを背負ったハイカーが乗り込む。この辺りからは、頂上を雲に覆われたペニン山波が見える。列車は引き続き登り続け、11時05分にカービー・ステファンに着いた。
ここを過ぎた列車は、いよいよ最後の登りにかかる。エンジン音をひときわ高く響かせた列車は、地肌を剥き出した山頂部に近づく。辺りは、地面に張り付いた苔類しか生えないツンドラ状を呈している。
山頂部のエイズギルを過ぎると、列車は下りに差し掛かる。ペニンを越えた列車は、ヨークシャー地方に入った。今度は右手に寄り添ったペニンの頂き(Fellという)を見ながら、列車はひたすら下る。左の車窓真下には、緑一面のヨークシャー谷が広がる。次のデント駅は海抜349メートルで、イギリス最高高度を誇る。長さ2.5km余のブレアモア・トンネルを通過すると、この線で最大のリブルヘッド橋梁が現れた。1875年に完成した橋は、全長400メートル余、高さ55メートルで、石灰岩造りの24の橋脚を有する。永年の風雪にさらされた橋は、幾たびの補修を繰り返して今日に至っている。
列車はヨークシャ・デール国立公園の中をひた走り、11時34分にホートン・イン・リッブルヘッド駅に着いた。悪天候にも拘わらず、ここからペニン歩きを終えたハイカーがどっと乗り込む。11時50分、列車は麓のセトル駅に無事到着して、イギリス一の風光明媚を誇る「セトル・カーライル線」の旅を終えた。

 (列車は、さらに1時間走ると、スキプトンを経由して西ヨークシャーの中心地リーズに着きます)

 注;SETTLEは、セットルとも聞こえますが、セトルの方が原音に近いかと思います。

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イギリス鉄道の旅・その6弾

スカイ島への旅・インバネス・カイル線
スコットランドの旅をもう一つ紹介しよう。あれは、いつ頃のことだったか、一枚の写真に目を奪われた。向かいに島を配した終着駅から、一隻のフェリーが出航する光景である。その向かいの島が「スカイ島」で、駅の名が「カイル・オブ・ロハルシュ」と知った時から、一度乗ってみたい路線になった。
5月8日、いよいよスカイ島を目指す日を迎えた。市内をブラブラシタ後、10時過ぎインヴァネス駅へ行く。6番ホームにはお馴染みの「スプリンター」が、すでに入線していた。例によって、最後尾の窓際に席をとる。10時47分に発車すると,しばらくは先日のウィック行きの線を走る。デイングウォール右に前掲のウィック線を分けた後は、ひたすら西に向かって走る。
しばらく浅い谷に沿って走った列車の前方には,氷河に削られた高原が待っていた。列車は右に左にと、徐々に高度をかせぐ。「ガーブ」の手前で右に現れたロッホ(湖)が、次に左手に変わった。この辺りは、大小の氷河湖が点在する。そろそろお昼が近ずいたので、例によって車内販売のカンビールを仕入れる。昼食は朝インヴァネスのキオスクで,サンドイッチを購入済みだ。イギリスのパンはうまいので,サンドイッチも中々いける。駅売りのサンドは色々な種類があり、湾パックで満腹する。これにバナナとパック牛乳が、私の定番ランチであった。この辺りの駅名は,スコットランド特有のゲール語なので,発音が定かではない。とても読めない「LOCHLUICHART」 駅に,水力発電所を見た。列車は高原を登りつめると, 下りにかかる。12時ちょうどに,中間駅の「アハナシーン」に着く。ここで対向列車待ちがあり、しばし停車となる。愛煙家はさっそくホームへ出て、一服始めた。外へ出てみると、空気が爽やかである。空は澄み渡り,遥か彼方の山並が手近にみえる。向かいのホームに接してホテルがある。遠方 からエンジンの恩とが響くと、対向列車が到着した。我々も再び列車に戻り、列車は駅を離れた。列車はカロン谷に沿って、次第に高度を下げる。どうやら分水領をこえたようで、川は西に向かって流れている。次の停車駅「グレンカロン・ロッジ」は、所有者のリクエスト・ストップになっており,今回は通過した。「ストラス・カロン」を過ぎると、右手にカロン湖が見えてきた。湖岸に沿って走る路線の所々に、雪崩除けのシェルターを見る。列車は最終コースに入り、居眠りしていた乗客も目をさます。私はビールが効いたのかトイレが近くなり、この間都合3回通ってしまった。イギリスでも障害者への「バリアフリー」が進み,車内トイレも車椅子対応に作られている。トイレ内は、車イスの方向転換が出きる広さだ。10時47分に、「ストロムフェリー」に着く。1870年に鉄道がここまで延びた時、険しい地形のため工事はこれ以上進まず、ここからスカイ島へフェリーを出していた。その名残が,現在の駅名に残っているわけだ。ここから終点の「カイル・オブ・オハルシュ」までの16KMに更に27年を費やし,1897年に全線が開通した。この区間には硬い岩盤を削って、31ヶ所の切通しと29ケ所の橋をかける大工事であった。最後のコースは右手に入り江と、その向こうに浮かぶスカイ島を見て走る。13時15分に列車は、終着駅カイル・オブ・ロハルシュのホームにすべり込み、かくして全工程133KM、2時間半の旅が終わった。(近年になって、カイルから対岸のスカイ島まで、スカイ橋が建設されました。その結果、楽しみにしていたフェリーは廃止され、現在バスが運行されています。
※「KYLE OF LOCHALSH」 は、「カイル・オブ・ロカルシュ」とも発音するようですが、(cha),カ、又はハツ。ここではロハルシュをとりました。


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イギリス鉄道の旅・第5弾
スコットランド西端を目指す旅

前回に続いて角田昌夫様からイギリス鉄道の投稿を頂きましたのでその五弾としてご案内申しあげます。
実際乗車されての実感・感想・状況説明‥キット皆様の参考になる筈です。

第5回

今回もスコットランド列車の旅をお送りいたします。スコットランド西部の中心地「っフォートウィリアム」から、最西端の港町「マレイグ」を結ぶ路線がある。かってはマレイグで陸揚げされた魚「ニシン」を運ぶために建設されたといえば、イギリス版「江差線」とでも言えようか。
フォートウィリアムに滞在した私は、5月15日に日帰りでマレイグを目指した。8時衣ぎに丘の上のホテルを出るとフォート・ウィリアム駅に向かう。ホームには、たびたびお馴染みのスプリンター型ディーゼルカーが入線している。例によって、最後尾の窓際に席を占める。初めは空いていた車内も、アメリカ人とおぼしきオバタリアンの団体が乗り込むと、途端に大騒ぎになる。とにかく周りにかまわず喋る、歌う、飲むの乱痴気騒ぎに、いささか閉口した。どうやら、静かな旅はオアズケか。  8時45分に発車すると、右にグラスゴー方面の路線と別れ西に向かう。列車はしばし,「インバロシー」dの湖岸を走る。沿線には製紙や、アルミニュウムの工場が見える。湖と別れ内陸を走ると、まもなくグレンフィナンの谷に指しかかる。この谷を大きくカーブして渡る鉄道橋が、有名な「グレンフィナン橋梁」である。この橋を、鉄橋と呼べないのは、これが100年前に出来たコンクリート橋だからだ。21の橋脚を持ちぜんちょう400mの橋の真中で、列車は一時停車する。乗客は一斉に進行方向左手の窓に寄り、眼下の谷とシール湖を見下ろす。これを予想した私は、あらかじめ左手に座っていたので、ゆっくりと眼下の絶景を楽しむ事が出来た。例のアメリカ人オバタリアンも、おしゃべりをやめて窓に駆け寄った。遥かに見下ろすシール湖には、頂上に銅像を頂く塔が見える。これこそ、スコットランド独立の悲願を抱いて、この地に亡命地フランスから上陸した「プリンス王子」の像である。かって独立を目指したスコットランドの人々が、イングランドに対して激しい戦いを挑んだ様子は映画「ブレイブトハート」にリアルに描かれていた。その映画は、この辺で撮影されたといわれている。 グレンフィナンを過ぎると、沿線は荒々しい山岳地帯に入る。低い潅木に覆われた岩山は、氷河に削られた爪あとを残している。細長い湖(この地方ではロッホと呼ぶ)や入り江は、すべて氷蝕作用がもたらした「フィヨルド地形」である。2つ、3つとトンネルをくぐると左手に入り江が現れた。海の青さに、一瞬眠気が吹き飛んだ。「モラー湖」に架かる鉄橋を渡ると旅もいよいよ最終コースに入った。
再び左手に海が現れると、10時7分に列車は終点「マレイグ」のホームに滑り込んだ。テレビ「世界の車窓」でお馴染みの駅は、ホーム一面のみの終着駅である。かって魚を運ぶ貨物列車で一杯だった駅は、漁獲が減った今はホームも閑散としている。この線自体も、かろうじて観光を名目に廃止を免れているらしい。ここで、例のうるさいオバタリアンともお別れ、全工程67km、所要時間1時間22分の旅は終了した。
(マレイグからの対岸のスカイ島へ、フェリーが運航されています。30分ほどでスカイ島へ渡れますので、皆さんのご訪問をお奨めいたします。)

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第4回

第三段に続いて英国の<鉄道が大好き>の角田昌夫様からのご投稿をいただきましたのでご案内申し上げます。人気のスコットランドの鉄道。実際の様子など必ずや役に立つ内容、それにも増して<行きたくなっっちゃうスコットランド>をご案内

 

ペニン越え路線の紹介をいったん中断して今回はスコットランド最果ての路線を紹介しよう。スコットランド北部の中心地「インヴァネス」に一週間滞在した私は日帰りで最果ての駅「サーソとウィック」行き目指した。
5月11日早朝ホテルの朝食を早めに済ませて下のホームに向かう。このホテルはインヴァネス駅に併設されたステーション・ホテルである。100年前に建設された建物はヴィクトリア朝の格式を残していた。部屋から1分でホームへ行けるのがステーションホテルの強みである。ホームには既にウィック行きのスプリンター型ディーゼルカーが入線中であった。早朝の一番列車とあってか車内は乗客もまばらである。例によって最後尾の窓際に座を占める。向かいの席にいる車内販売のおばさんと挨拶を交わす。
定刻7時、警笛一声で列車はホームを離れると、すぐに左手の路方面への本線と別れる。いよいよ最果てのウィック駅を目指して260km、4時間の旅が始まった。
列車はまもなく、ネス湖から流れ出る「カレドニア運河」を渡る。ディングウォールで左にスカイ等方面の線路と別れると列車は列車は細長いクロマティー湾に沿って走る。お待ち兼ねの車内販売が始まったので、私に至福の時が流れる。早起きの不眠、ビールの酔いに列車の振動が重なり、しばし睡魔に襲われる。
インバーゴードンを過ぎると列車は方向を西に変え内陸に向かう。暫く丘や谷をこえて走るとラーグで再び方向を東に変える。ここで始めて、広々とした北海が眼前に開ける。この沖には北海油田が、その向こうにはデンマークやノルウェーがあるはずだ。
この地方の中心地「ヘルムスデール」を過ぎると、列車は海に別れを告げ再び内陸に向かう。氷河で削られた荒々しい原野を走ると、小さな駅から少年が乗り込んできた。車内販売のおばさんと気軽に挨拶を交わす。列車通学なのだろうか、手にかばんを持っている。向かいの席に座った少年はノートを出してなにやら書き出した。宿題なのか、オバサンが覗き込んでいる。テレビ「世界の車窓」で良く見る、お馴染みのシーンである。10時26分、列車は荒野にポツンと立つ「ショージマス・ジャンクション」に着いた・ここはその名の通り、サーソ方面ウィック方面が別れる分岐点である。ここで少年は、オバサンに別れを告げ下車した。   列車は一旦、サーソを目指して北上する。走る事13分で列車は最北の駅「サーソ」へ着いた。ホーム2面の終着駅はイギリス版稚内という感じだ。ホームの一部lは木製の雪よけ屋根に覆われている。屋根の壁に「サーソへようこそ」の看板を見た。3分停車で列車は、今度はウィックを目指す。先ほど走った路線を逆走してジョージマス・ジャンクションに戻ると、ここから東に向かいウィックを目指す。客車列車の頃は、ここで列車をサーソとウィックに分割していたらしい。ディーゼル化の今日では方向転換の必要がないのか、分割せずにサーソ・ウィックの両方へ寄る。帰路はこの逆に、ウィックからサーソに寄ってインヴァネスに戻ることになる。最終コースに入った列車は、エンジンの音も高らかに疾走する。左にスコットランド特有の氷河湖(ロッホ)を見て、11時10分に終着駅「ウィック」に着いた。
かくして全行程260km、4時間10分の旅を終えた。(ウィックの近くに、イギリスで退職した人が記念に訪れる岬がある。この後、私もバスに乗り換え、この岬「ジョン・オグローツ」を訪れた)


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第3回

<<イギリス鉄道の旅>>
憧れのペニン越え・その1(マンチェスター・シェフィールド線

英国全鉄道を網羅された角田昌夫様に再度続編原稿の提供を頂きましたのでご案内させて頂きます。書店では見られない実の面白さがあり英国に興味のある方、鉄道旅行に関心のある方にはお奨めの1ページ。
  ペニン山脈を東西に横切るいくつかの路線の最南端がこの<マンチェスター・シェフィールド線>である。その名も<ホープヴァレイ線(希望の谷線)>とあっては、私としても意欲をそそられる。この度マンチェスターに一週間滞在した折この線に乗る機会を得た。
実は先年にも一度この線に乗ったのだが折りしもの豪雨で視界がきがず、加えて長旅の疲れですっかり寝込んでしまい、私としては乗らないのに等しい状況であった。
10月29日の朝、郊外のホテルからバスでマンチェスター・ピカデリー駅に向かう。巨大な駅の墨にある13番線でしばらく列車を待つ。やってきた25分遅れの「ノーリッジ」行きに乗り、9時40分ごろマンチェスターを出発する。車両はイギリス語自慢の<スーパー・スプリンター型>ディーゼルカーだ。

ビルや住宅が建ち並ぶ市街地を抜けると、列車は緑の郊外をペニンに向かって走る。かってロンドンへ向かう本線との分岐点であった「チンリー」を過ぎると、列車は長大な「カウバーントンネル」へ入る。長さ3.4km余りのトンネルはペニン山脈の真中を貫いている。トンネルを出ると眼前いっぱいにホープ谷「」が広がる。両側をなだらかな丘陵に囲まれた谷は、緑一色の原野である。他のペニン越え路線と異なるのは、この沿線に工業地帯はおろか、住宅街もないことである。緑豊な田園の中を列車はひた走る。乗ること1時間余りで、谷の中心イーデイル」に着く。ここで下車して、しばし散策を楽しむことにした。ホーム2面の無人駅を降り、細い田舎道を歩く。駅前に一軒だけパブ兼のイン(旅籠〕を見た。時間が許せば一晩泊まってみたくなる素敵なインだった。北側の丘を目指し歩くと観光案内所があった。中にはペニンの山歩きに関する情報が完備していた。そういえばここは北に向かうペニンウエイ」の出発点なのだ。  次の列車に乗るため、再び駅へ戻る。ホームで列車を待つ若者に声を掛けるとシェフィールドの人だった。シェフィールドを話題にしばし言葉を交わした。間もなくペニンの山並からやって来た列車は、なんと50年代に製造された101形式のディーゼルカーではないか。間もなく廃車になる時代物の車両に載れたのは、ラッキーであった。列車はひたすらシェフィールドに向かって走る。途中はもう一つ、長さ5km余りの「トットリ・トンネル」を抜ける。「ドア」でロンドン方面からの本線を合わせると、12時10分にシェフィールフドに到着した。
かくして、緑豊かな「希望の谷」の旅は、私に更なる「夢と希望」残して終わった。

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第2回 

憧れのペニン越え・その1(スカボロー・リバプール線)   

 

イギリスの鉄道をこよなく愛する私は、たび重なる訪英でほぼ全路線を乗り終えた。前回は<イギリスの五能線>とも言うべき<カンブリア海岸線>を紹介させてもらった。そこで今回から<山線>の中で、私が最も好きな<ペニン越え>の路線を紹介する。

 大ブリテン島の背骨を形成する<ペニン山脈(英語ではペナインと発音する)>を東西に横断する路線がいくつかある。最初に、私が初め乗っ た<スカボロー・リバプール>を結ぶ路線を紹介しよう。

そもそもイギリスの産業革命は、この地方に誕生した。従ってこの沿線には、ペニン山脈の自然と産業革命という人間の営みが、絶妙にミックスされた独特の景観が展開する。北海の港<スカボロー>に滞在したおり、ここからペニンを越えてアイリッシュ海の港<リバプール>まで、東西を結ぶ直通列車を見つけた。その名も<トランスペナイン・エクスプレス(ペニン越え急行)>とあっては見過ごすわけにはいかない。           

 朝8時48分に<スカボロー駅>を発車した列車は、北ヨークシャーの原野を疾走する。車両は未電化区間を走るため、2両編成の<スプリンター型>ディーゼルカーである。鉄道の合理化を促進しているイギリスでは、電化区間を除く殆どの路線で、このスプリンター型を走らせている。巨大なドームを戴いたヨーク駅を発車した列車は、まもなく左にロンドン方面の本線と別れる。列車は西に向かい、ペニンの麓を登り始める。かって蒸気機関車が喘ぎ喘ぎ登った急勾配を、強力なエンジンを搭載したスプリンターは一気にかけ登る。               

  西ヨークシャーの中心地<リーズ>に差し掛かると、レンガ造りの工場群が現れた。駅周辺には大きなビルやホテルが林立し、さすがに大都市の風格を具えている。リーズを出ると、列車はいよいよ本格的なペニンの登りにかかる。開けた谷を右に左に縫いながら、エンジンの音も高らかに列車は登る。山間の美しい街<ハダスフィールド>を過ぎると左に<ペニストン線>を分ける。<シェフィールド>へ向かうこの路線は、ペニンの山並を走る超ローカルな線である。駅の看板に、<乗って残そうペニストン線>のスローガンを見た。              

 間もなく列車の前方にペニンの分水嶺が立ちはだかる。右手にペニンを越える<ヨークシャー運河>を見たかと思うと、<スタンデッジ・トンネル>に突入する。ぜんちょう5km余りのトンネルを一気に抜けると、眼前に<ランカシャー>の谷が開ける。天候はヨークシャーの晴天から、ランカシャーの雨へと変わる。列車が谷の右岸高く走るので、車窓の遥か下に家並みが見える。狭い谷底を道路と運河が占め、斜面には集落がへばりつく。  列車が走る谷は、産業革命発祥の地である。所々に点在する工場の煙突が、谷の空を圧している。どの建物も産業革命の生き残りなのか、煉瓦造りのくすんだ色彩を帯びている。列車が麓の<ステイリーブリッジ>に着くと、もうマンチェスターの郊外である。家並みが増え、右に左に路線を合わせたり分岐しながら、11時08分巨大なドームに覆われた<マンチェスター・ピカデリー駅>に着いた。                            列車はなおランカシャーの平原を走り、11時57分に終着駅<リバプール>へ着いた。かくしてスカボローから所要時間3時間弱で、夢の<ペニン越え>を終えた。


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第一回

鉄道に魅せられて‥

<鉄道の旅>大ファンの角田昌夫氏に全英国鉄道乗車完遂の紀行文をお願いしました!


第1回 1998-4-15日本発、6-16日本着、2ケ月間に渡る英国の旅をもって英国内の鉄道の殆ど全てに乗車した事になる。あしかけ2年をかけての事になる。以下に全文をご案内します。

エンジンの音も高らかにカーライルを発車したディーゼルカーは、一路カンブリア海岸に向かって走る。やがてメアリーポートを過ぎると、右手にアイリッシュ海が現われた。列車は荒々しい崖に沿い寒村を縫って走る。さながら五能線にも似た風景を眺めながら大好物のビタービールを口にすると、私に至福の時が訪れる。              イギリスの鉄道の尽きせぬ魅力にとりつかれたのは、いつの頃からだったろうか。もともと幼少の頃から鉄道ファンの私ではあったが、鉄道誕生の国としての伝統もさることながら、イギリスの自然風土と人間の営みが巧みにミックスされた魅力。そこに愛してやまないイギリスの人々が加わって、他の国にない魅力を感じさせてくれる。  数度の訪問で本線、支線からローカル線、さらには各地に点在する<保存鉄道>に至まで、次第に私の足跡は広がっていった。そして30数年の勤めを終えた後、やっと手に入れた退職を活用して昨年は2ケ月の<イギリスひとり旅>を実現した。この旅で今までに野い残したっ区間をほぼ完乗した。                                 早朝に身軽な出で立ちでホテルを出る。最寄りの駅から列車に乗ると、昼前に目的地に着く。昼食は駅や周辺のパブやレストランで済ます。見学を終えたら別のルートをとり帰途に着く。これが2ケ月間毎日私が繰り返した日課である。旅先で出会った人には積極的に話しかけ、ずいぶん知り合いも出来た。                      眠れぬ夜に目を閉じると、マブタに浮かぶのは過ぎし日の車窓である。まさに<夢は枯野を駆け巡る>である。若干の路線を乗り残している今、次にどの線に乗るかを考えている私である。

英国鉄道お勧めの10路線  ‥‥次回記載をお願いしてます。

 


ヨーロッパ鉄道のたび
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