ヨーロッパこだわりの駅シリーズ

ヨーロッパこだわりの駅8ウィトビー(Whitby)
ヨーロッパこだわりの駅7パンティプリッズ(Pontypridd)
ヨーロッパこだわりの駅(6)マッハンスレス(Machynlleth)
ヨーロッパこだわりの駅(5)アヴィモア

ヨーロッパこだわりの駅(4)ダンディー
ヨーロッパこだわりの駅(3)カイル・オブ・ロカルシュ
ヨーロッパこだわりの駅(2)パース
こだわりの駅(1)スコットランド北西 グレンフィナン駅

「ヨーロッパこだわりの駅;9」

エクセター(Exeter)        (文責) 角田昌夫

エクセターは、イングランドの西南部に位置する「デボン州」の中心地である。ロンドンのパディントン駅から、ブリストルを経由して2時間余で「エクセター・セント・ディヴィッズ駅」に着く。エクセターには、この他に「エクセター・セントラル駅」、「エクセター・セント・トーマス駅」、「エクセター・リバーサイド駅」などがあるが、ロンドンからの本線は「セント・ディヴィッズ駅」に着く。

ホーム2面の駅構内は高台の下にあり、エクセターの名前の基になった「エクス川」が傍を流れている。駅を過ぎると線路は二手に分かれ、プリマスを経てペンザンスに向かう本線は直進する。左にカーブした線は急勾配を登ると、「エクセター・セントラル駅」に着く。かつてSLが客車を牽引していた頃は、列車の後部に補機(後押しの機関車)を付けて急勾配を登ったそうだ。エクセターの中心街は高台にあるので、「セントラル駅」で降りた方が便利である。セントラル駅を出た列車は、エクス川の河口にある「エクスマス」に至る。

 さっそく市内を散策する 

さて駅前広場からタクシーに乗ること10分余で着いたホテルに投宿した私は、さっそく中心街の探訪に出かけた。幸いにもホテルの前にバス停があったので、路線バスに乗る。中心街で降りると、例によって観光案内所や郵便局、バスセンターなど主要な場所をチェックする。木立の上には、エクセター大聖堂の塔が見えた。高台の端に行くと、急な崖が一気にエクス川に落ち込んでいる。急な崖道を降りると、エクス川の岸辺に出た。あたり一面はウォーターフロントになっていて、カフェやレストラン、土産物屋が並んでいる。ゆったりと蛇行するエクス川が、辺りの風景に溶け込んで美しい。川岸に面したテラスで、ビールとオムレツの昼食を摂る。流れに乗って泳ぐ白鳥に、しばし旅の疲れを忘れた。

エクセター大聖堂です。(写真)

エクスター周辺を乗り歩く

翌日からエクセター周辺の路線を、列車で乗り歩くことにした。最初に訪れたのは、セントラル駅から一路南下した「エクスマス」である。折りしも再開発中の駅舎は、工事の足場が組まれて雑然としている。セントラル駅とは言え、ホーム2面に中線が何本かあるだけだ。2両編成のペイサー型ディーゼルカーに乗り、一路南下する。市街地を抜けると、まもなく右手にエクス川が現れた。対岸にはプリマス方面への本線が、平行して走っている。たまたま長い貨物列車が、芋虫のように同じ方向に走っていた。エクス川の左岸に沿って走ること40分余で、終点のエクスマスに着いた。途中の無人駅では、ローカル線ならではの光景に出会った。ホームで抱き合っていた男女が、発車時間が来てもなかなか離れない。運転手も乗客も仕方がないとばかり、二人が離れるのを辛抱強く待っていた。終点エクスマスで、エクス川の河口を見て引き返す。エクセターへは、30分間隔のダイヤが組まれていた。

市街地の下に流れるエクス川は、市民の憩いの場所だった。(写真)

さてエクセター滞在の三日目は、北部の「バーンステイプル線」に乗ることにした。「セント・デイヴィッズ駅」から2両編成のスプリンターで2時間、半島を横断して訪れた「バーンステイプル」はブリストル湾に面した港町であった。イギリス屈指の沿線美を誇る「バーンステイプル線」は人口過疎地帯を走るので、何度も廃止の危機にさらされた。現在でも赤字は解消しないが、住民の生活路線として残されている。わが国で言えば、さしずめ「只見線」にでも当たろうか。近年では沿線の観光を売り物に、駅頭には宣伝パンフレットが置かれていた。

ダートムアを訪れる 

 エクセター滞在の目的が、もう一つあった。それは、「ダートムア」の訪問である。青年時代に「コナン・ドイル」の作品「バスカヴィルの犬」を読んだ私は、その舞台となったダートムアへの憧れを抱いてきた。荒涼とした原野を疾走する巨大な犬に、ダートムアのオドロオドロした風景が脳裏に焼きついた。

さてエクセターのバスセンターを11時15分に発車したバスは、エクス川を渡り郊外に出る。辺りは緑の丘陵と変わり、バスは狭い道をクネクネと走る。ときどき対向車が現れると、バスは片隅に寄ったりバックしたりする。本日は生憎の天候で、霧雨煙る丘陵の斜面に白い壁の家が現れる。山道を登ること50分で、終点の「Moreton Hamsted」に着いた。ここは、ダートムア東部の中心地らしい。狭い通りの角に一軒のパブを見つけ、とりあえず入る。ちょうどお昼を過ぎたところだが、店内には客の姿がない。突然の珍客にも拘らず、銀髪のお嬢さんが親切に対応してくれた。ここは定番ランチで、半パイントのビールとスープに茹でたポテトにする。ほろ酔い気分でパブを出て、街はずれの原野を探訪する。波のように起伏する丘は牧草で被われ、羊が点々と草を食んでいる。細いパブリック・フットパス(歩行者専用道)をしばし歩いたが、そぼ降る雨でしたたかに濡れたので引き返す。ダートムアの中心部はまだまだ先で、はからずもその一端を垣間見た感じになった。聞けば霧に巻かれて遭難する例が多いそうで、深入りは危険なようだ。再び「Moreton Hamsted」に戻ると、バスセンターでしばし待つ。バスセンターと言っても、石造りの小屋が一つあるだけだ。待つことしばしやって来たバスは、珍しく女性の運転手であった。14時05分、バスは雨煙るダートムアに別れを告げ往路を引き返した。

雨煙るダートムアに、人影はなかった。 (写真)

「後記」エクス川に面したエクセターには、大聖堂を初めウォーターフロントや、数々の名所・旧蹟があります。鉄道フアンならずとも一見の価値があるので、ぜひ訪問をお勧めします。

「ヨーロッパこだわりの駅8」

ウィトビー(Whitby)                   (文責) 角田昌夫

ウィトビーは、イングランド西北部の北海に面した港町である。この付近で生まれた「探険家クック」に因んで、この地方は「キャプテン・クック・カントリー」と呼ばれている。西北部の工業都市「ミッドルスブラ」からウィトビーまで、北ヨークシャーの原野をローカル線が走っている。「エスク川」に沿って走るこの線は、風光明媚な田園風景がつとに名高い。

ウィトビーめざして、さあ出発 

私が乗った2両編成のペイサー型ディーゼルカーは、ミッドルスブラの市街地を抜け出て郊外を走る。低い残丘が残る原野を縫って、列車は右に左に走る。途中の「グロスモント駅」は、「ノース・ヨークシャ・ムーア保存鉄道」と接続している。かつてここから「ピカリング」までの路線が廃止される際に、有志が鉄道施設を引き継いで自主運行している。ここからピカリングまで16kmの北ヨークシャーの原野を、約1時間かけてはしる保存鉄道には一乗をお勧めしたい。

グロスモントを過ぎると、風景が一変した。低平な原野をゆったりと流れていたエスク川が、狭い谷に入り急流に変わった。線路はしばし渓谷に沿って走るが、再び流れが緩やかになってきた。どうやら河口に近付いたのか、エスク川が大きくカーブした先にウィトビーの市街が見えてきた。駅の手前でエスク川を高く越える鉄道橋は、かつてのウィトビー・スカボロー線の名残りである。煉瓦を積み上げた橋は、現在でも美しいアーチを描いている。列車がゆっくり入線するウィトビー駅は、行き止まり駅の構造になっている。

かつての繁栄を物語る幅広い構内にあった線路は整理され、ホームは対面の2面を残すのみである。煉瓦造りの立派な駅舎も、窓口を一つ残すだけでビュッフェさえない。ここにもイギリスの鉄道合理化が、如実に現れている。

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「ウィトビー港の風景です。エスク川の河口には、大小の船が繋留されていた。丘の上には、13世紀建立の修道院跡が見えます」


 

1960年代のイギリス国鉄当時から、鉄道合理化が始まった。有名な「ビーチング報告」に基づく赤字路線の廃止が始まり、これが90年代の分割民営化に行き着いた。この「エスク谷線」は、辛うじて「ビーチングの斧(赤字路線廃止)」を逃れて細々と運行されている。

ウィトビー市内を散策する 

さて、外見だけは立派な駅舎を出て、市内を歩いてみよう。駅前の「エスク川」に沿って、大小のレストランやパブ、土産物屋が立ち並ぶ。路上に大きな籠が置いてあるので、近寄って聞くと「蟹採り」の籠とのことだった。防波堤の先端まで歩き、エスク川の河口を覗いて見る。陽射しが眩しい青空だが、北海の波が荒々しく防波堤に砕ける。河口の左手の丘を登ると、緑の芝生に覆われた頂上に銅像が立っている。近寄って見ると、やっぱり「キャプテン・クック」の像であった。七つの海を航海しハワイで不慮の死を遂げたクックが、はるか新大陸を眺めている像である。銅像の台座には、クックの名言「To strive, to seek, to find and not to yield」が刻まれていた。          

「丘の上には、キャプテン・クックの銅像が立っていました。」

折りしも昼食時とあって、丘の下のレストランに入る。窓の下に北海を眺める席で、平目のムニエルを食す。もちろん、地ビールも注文する。イギリスの片田舎に突然現れた異邦人に、ウェイトレスは驚くこともなくオーダーを取ってくれる。昼間からほろ酔い気分で店を出ると、右岸の丘を目指す。丘の上には、古い修道院の跡が見える。13世紀に建立された修道院は、第一次世界大戦にドイツ艦隊の砲撃を受けたそうだ。

エスク川には、港に出入りする船のため可動橋が架かっている。ちょうど一隻の漁船が入港し、橋が中央部分で分かれて揚がり始めた。通行人は橋の両側で、辛抱強く通過を待つ。再び閉まった橋を渡り対岸に出ると、両側に店が立ち並ぶ小路にでた。小路を右に曲がると、丘を登る石段が現れた。丘を斜めに登る道だが、ビールの酔いが全身に回ってきた。喘ぎあえぎ石段を登ると、上から降りてきた男性に「もう少しだ。ガンバレ!」と励まされる。ようやく頂上に辿り着くと、目の前に古い修道院が現れた。丘の端からは、青い北海が足元に広がる。

ウィトビーに別れを告げ、帰途に着く 

再び元の道をたどり、ウィトビー駅に戻った。ここからは、滞在地の「スカボロー」までバスで帰る。かつてはウィトビーからスカボローまで列車が運行されていたが、この線もビーチングに指定され廃止の憂き目にあった。駅の横にバス停留所を見つけ、しばしバスを待つ。後ろに並んだオジイさんが、何となくキャプテン・クックを思わせる風貌の人だ。「どこから来なさったのかね?」と聞くので、「日本からです」と答える。「日本は遠いとこなんだろうね。ワシなんがとても行けないとこだね」と、物凄いヨークシャー訛りで話す。「この辺りで、キャプテン・クックが生まれたそうですが?」と聞くと、「キャプテン・クックなんて、俺には関係ねえよ」と言う。折り良くやって来たバスに乗ると、最前席に乗り合わせることになった。途中の風光明媚な「ロビンフッド湾」でバスを降りたキャプテン・クック氏は、別れ際に愛想も良く「元気でな!」と言葉を残してくれた。いやはや、人は見かけによらぬもの。旅先での心温まる出会いであった。

かくしてウィトビー周辺の旅が、無事に終了した。

「暗雲たれこめる北海の海岸は、日本海沿岸を思わせました。」

 

「ヨーロッパこだわりの駅7」

パンティプリッズ(Pontypridd)     (文責)角田昌夫

舞台を転じて、南ウェールズに移そう。南ウェールズの中心地「カーディフ」から、背後の山地に網に目のように支線が延びている。かつて良質な石炭を産出したウェールズ炭田が全盛期の頃、谷の空を煙で覆って石炭列車が上下していた。往年の映画監督「ジョン・フォード」は、名作「我が谷は緑なりき」でこの地方を一躍有名にした。その舞台となった「ロンダの谷」を、訪れる機会を得た。

南ウェールズの中心地「カーディフ」に旅装を解いた私は、翌日さっそくロンダの谷をめざす。ホテルから歩いて10分余で、カディフ・セントラル駅に着く。ホームで待っていた2両編成の「ペイサー型ディーゼルカー」に乗り、8時58分カーディフを離れる。高架軌道で市内を通り、郊外に出る。緑に包まれた市街地を抜けると、カーディフ背後の丘陵地帯に差し掛かる。浅い谷に沿って次第に高度を増すと、前方に二つの谷の分かれ目が見えてきた。

この谷の合流点に出来たのが、パンティプッリズの駅である。かつて南ウェールズ一帯の石炭産業が全盛の時、石炭列車が谷を上下した。今でも当時の面影を残す駅構内は、多くの側線とホームの跡が残っている。駅舎も石造りの立派な建築だが、内部は一部を残して閉鎖されている。駅舎の脇には、二つの谷から流れ出た川が合流している。パンティプリーズは、谷の合流点に出来た町だ。

終点の「Treherbert」駅の向こうには、廃線の跡が残っていました。

乗り換えのため、列車を降りてホームをぶらつく。たまたま熟年の二人組み男性に会い、しばし会話を交わす。彼らは元炭鉱夫で、在りし日の繁栄ぶりを話してくれた。この地方の石炭は高エネルギーで、カーディフ炭としてイギリス内外に珍重されたそうだ。かつての筑豊炭田が、黒ダイヤの名の下に持てはやされたのと同じである。エネルギー資源が石油に移ると、谷の繁栄も影を潜めた。網の目のように走っていた路線も、多くが廃線の憂き目に遭った。二人組みの元鉱夫は、戦後に起きた炭鉱の大ストライキについても話してくれた。炭鉱夫や家族が一致団結して、勝利するまでストは何ヶ月も続いたそうだ。外部からストの応援に駆けつけた人々の中に、歌手「ポール・ロブソン」がいたと言う。突然思わぬ人の名が出たのでビックリしたが、懐かしい名前にたいへん嬉しかった。ロブソンと言えば、私が青年時代に憧れた歌手ではないか。彼の「ダニー・ボーイ」「オールマン・リバー」を、良く聞いたものだ。私がロブソンを知っていると言うと、彼らも喜んでくれた。南ウェールズ出身の有名人は聞くと、『隣りの谷から、リチャード・バートンが出たよ』と言う。その他に「ミック・ジャガー」や「アンソニー・ホプキンス」も出たと言う。だいぶ話し込んだが、列車はまだ到着しない。話題が映画に及ぶと、『ズール戦争を見たかね?』と聞く。見たも見ないも「ズール戦争」は私の大好きな映画である。映画は南アフリカの砦を守るイギリス軍と、現地の「ズール族」の壮絶な戦いを描いていた。砦を守った部隊が、南ウェールズの兵士だったのだ。主演の「マイケル・ケイン」は、私のお気に入りスターだと言うと、『それは嬉しい話だ』と喜んでくれた。30分も話したろうか、列車がやって来た。ウェールズの田舎で出会った人々との交流に、温かい心に満たされて別れを告げた。

折り返しの「Treherbert駅」。これがイギリス旅行中にお世話になった「ペイサー型」ディーゼルカーです。乗り心地の悪さから、「ノッディング・ドンキー(うなずくロバ)」と呼ばれています。

パンティプリズを発車した列車は、谷川を渡ると左の谷に分け入る。列車は谷の右岸を、川の流れに沿って走る。次の「Trehafod」には、「ロンダ・ヘリテッジパーク」がある。公園の中には閉山時の炭鉱施設が保存され、全盛期の炭鉱生活が人形などを使ってリアルに再現されている。列車が登るにつれ、谷の幅が広まってきた。浅い谷の斜面は緑に覆われ、その中に住宅の赤い屋根が鮮やかに浮かぶ。列車は谷の奥に登り詰めると、終点の「Treherbert」に着いた。ホーム一面の折り返し駅には、駅舎がポツント立っているだけだ。4分後に折り返すディーゼルカーに戻り、谷を下る。日中のローカル線は、人影もまばらだ。ついウツラウツラしながら、幾つかの駅を過ぎる。途中の駅で乗ったのか、乳母車を乗せた若い母親がいた。イギリスの車内では、乳母車や自転車を良く見かける。ふたたび「パンティプリーズ」を過ぎた列車は、一気に谷を下る。緑の山々に囲まれた南ウェールズの谷よ、産業は廃れたが緑が蘇ってきたのだ。かくして、「我が谷は再び緑なり」である。

 

ロンダの炭鉱資料館で出会った元炭鉱夫です。

彼は三池炭鉱の人々と交流があり、日本語で

「ガス・バクハツ(ガス爆発)」と言いました。

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ヨーロッパこだわりの駅;その6

 

マッハンスレス(Machynlleth)          (文責)角田昌夫

 

 話題をスコットランドから、ウェールズに移そう。「マッハンスレス」は中部ウェールズのアイリッシュ海寄りに位置し、かつてウェールズが独立していた時代に議会が置かれていた古都である。ウェールズはスコットランドと同様にイギリスの辺境にあり、スコットランドと同系の「ケルト人」が住む。山紫水明に恵まれた地に、個性豊かな人々が住むウェールズに魅力は尽きない。

 

「マッハンスレス(Machynlleth)」は、文字から分かるように英語ならぬウェールズ語である。綴りや発音を英語と全く異にするウェールズ語は、極めて難解な言語である。同じイギリス人でもイングランドから来た人は、チンプンカンプンな言葉だと言う。ウェールズ語の特徴の一つに、「LL」がある。これは英語風に「ル」と発音せず、「スル」と発音する。例えば「Llanelli」は「スラネスリ」と、「Llanberis」は「スランベリス」と発音する。また前半の「Machyn」の「chyn」は、スコットランドのゲール語と同じく「ッハ」と強く息を吐き出して発音する。イングランド人は、これを「カン」と発音する。従って、「マッカンスレス」と言う場合もあるらしい。何かと難解なウェールズ語だが、一時は死語に瀕したウェールズ語も今日公用語として復活が図られている。

 さてマッハンスレスへは、イギリス中西部の「シュロウズベリー(一般には、シュウルスベリーと言われる)」から列車で向かう。発車して間もなく、列車は「セヴァーン川」を渡る。この川は、流れ流れてブリストル湾に注ぐ。列車はひたすら西に向かい、野越え山越え走ること1時間余で「マッハンスレス」に着いた。

マッハンスレスの駅舎は、この地方産出の石材を使って1863年に建造された。茶褐色に光る岩肌は、駅舎に荘重な感じを与えている。この駅舎は、近年イギリス全体で行われている歴史的建造物の復元作業で新たに整備された。ホームは直線の対面で2線あり、路線はこの先の「ドヴェイ・ジャンクション」で2方向に分かれる。右に行く線路は、カーディガン湾に沿って北上する。左に行くと、アイリッシュ海のリゾート地「アベリストウィス」に着く。どちらの路線も、鉄道フアンには垂涎のコースである。ホームに立って西の空を眺めると、左右を低い丘に囲まれた平地がドヴェイ川に沿って海に向かって開ける。緑の丘や原野は、正に田園牧歌の言葉そのものである。

 重い戸を開けて駅舎内に入ると、清潔に整頓された待合室があった。ここでバッタリ、嬉しい出会いがあった。実は数日前、車内で日本人夫妻に出会った。めったに日本人に出会わない場所だけに、その奇遇にしばし会話がはずんだ。かなり高齢なU夫妻は、二人で旅するウェールズ研究者であった。再会を約して分かれた夫妻に、ここでバッタリ出合ったのだ。幸運にも夫妻から、ウェールズの苦難の歴史などレクチュアを受けた。これから列車に乗る夫妻と別れて、駅舎を出ると街へ向かう。正面から見た駅舎は、時代を超えた風格を

 

 

「修復が終わったマハンスレスの駅舎は、地元の石材を使った重厚な建物でした。」

 

備えている。日本の鉄道にも良く見られるように、この街も駅と離れている。案内板に従って歩くと、ほどなくマッハンスレスの街並みが現れた。両側に並ぶ商店やレストランを過ぎると、十字路に出た。左に曲がるとすぐに、先ほど出会ったU夫妻の定宿があった。ここのビールが美味しいと言うU夫妻の勧めで、中のパブを覗く。宿の主人がいたので、覚え立てのウェールズ語で「ボレダー(コンニチハ! )」と挨拶をする。私の顔を見て、主人は「U夫妻に会ったか?」と聞く。どうやら夫妻から、私のことを聞いていたらしい。ほろ酔い気分でホテルを出ると、観光案内所に向かう。その奥にウェールズ独立時代の議会跡があると、U夫妻から聞いていた。イングランドの支配に激しく抵抗した独立の志士「オーエン・グランヂャー」が、ここを拠点にしたらしい。今はイングランドに統合されたウェールズにも、かつてイングランドと戦った血みどろの歴史があったのだ。イギリスの皇太子を「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ぶのは、ウェールズを大英帝国と一体化した証拠である。

 

街の一角には、「ケルティック・センター」がある。ここにはヨーロッパ大陸を出発点に、ブリテン島、アイルランドにまで民族的な遍歴を印したケルト民族の数々の貴重な展示が見られる。特に興味を感じたのは、各地のケルト語で数詞を1から10まで発音したテープである。たとえばウェールズ語とフランスのブルターニュ地方の「ブルトン語」が、実に良く似ていたことだ。今日ヨーロッパでは、「ケルト・サミット」が定期的に開かれているという。

 さて再び駅に戻って、ホームに立つ。今日はこれから西に向かい、ドヴェイ・ジャンクションで左に折れ、保養地で名高い「アベリストウイス」に向かう。右に折れて北上すると、カーディガン湾に沿って走る列車はほどなく開けて入江かかる。ここには1867年建造の「バーマス・ブリッジ」がある。広い入江に架かるイギリスの鉄道橋には、それぞれに個性がある。水面スレスレに掛かるバーマス橋は木造橋だが、北端に2つの鉄製のアーチがあり船の出入りが出来る。

 

左に折れて、終点の保養地で名高いアベリストウィスに着く。かくしてマハンスレス駅を起点に、興味の尽きない旅が始まる。

 

 

「終点のアベリストウィスを山上から見下ろすと、アイリッシュ海に面した市街が眼前に開けました。中央の海岸に面したホテルに、1週間滞在しました


 

 

 


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ヨーロッパこだわりの駅;その5」

 アヴィモア                 (文責)角田昌夫

 引き続きスコットランドの駅を紹介しよう。スコットランド中央部のパースから、北部の中心地インヴァネスを目指す。列車がスコットランド中央高地に差し掛かると、スピードはガックリと落ちる。この路線には峠が二つあり、強力なエンジン付きの気動車でも越すのがひと仕事である。峠の頂上部は樹木が消え、低い地衣類が生える風景はツンドラ地帯を思わせる。喘ぎあえぎ峠を登りつめた列車が、下りにさし掛かると次第にスピードを増す。パースを出発して1時間半、列車は「アヴィモア駅」に着いた。開けた地形の右手には、5月なのに雪を戴いた山波が見える。

アヴィモア駅の構内は、2本の直線ホームからなるシンプルな配置である。駅舎は最近復元作業が終わったのか、石造りの風格ある建物である。近年イギリスでは歴史的に価値ある駅舎の復元運動が盛んで、各地に復元整備が終わった建物を見る。これらは公式の保存委員会の指定をうけ、行政や宝くじ財団から

「本シリーズその1」で紹介したグレンフィナンの入江に立つ「チャーリー王子」の像です。塔の頂上は狭いので、高所恐怖症の方はご注意を!

の財政援助を受けているようだ。

お昼を迎えたので、とりあえず昼食を摂ることにした。駅舎の中には期待したレストランが無く、サンドイッチのスタンドがあるだけだった。とりあえずサンドイッチを注文して、傍のベンチで食べる。ゆっくりランチをと思っていたが、なんだか慌ただしく味気ない昼食であった。

さてアヴィモアには、「ストラス・スペイ保存鉄道」があるはずだ。駅前広場に出ると、保存鉄道の標示があった。通りに沿って歩くが、それらしい物が見当たらない。どうやら行き過ぎたようで、通りかかった中年女性のグループに聞く。「それなら、こっちよ」と、もと来た方向に案内されると保存鉄道の入り口があった。本線の下をガードで潜ると、ストラス・スペイ保存鉄道の入り口に出た。

この線は本来ここからスペイ川に沿って、アバディーン方面と連絡していた。それが鉄道合理化の名の下に、赤字路線とした廃止されてしまった。廃止に際して有志が集まり、路線の一部を入手して保存鉄道とした。イギリス各地には、同様な保存鉄道が多く見られる。いずれも赤字路線廃止に際して、有志が購入して運行しているものだ。代表的なものに、セヴァーン・ヴァレー鉄道、グレート・セントラル鉄道、イースト・ランカシャー鉄道等々、枚挙に暇が無い。

現在のストラス・スペイ鉄道は、ここアヴィモアから「ボート・オブ・ガーテン」までスペイ川に沿って8kmを20分余で走る。専用の保存機関車や客車を持ち、数人の常勤職員と多くのボランティアで運営されている。もちろん正式な資格を持った運転士や信号係りが、公式の運行規定にそって列車を走らせている。運営資金の大半は賛助会員の会費や寄付金で賄われ、私もその場で幾ばくの寄付を行った。

ホームはもっか工事中で、将来的には本線と繋げるらしい。そのホームには、大勢の人が待っていた。家族連れが多いのを見ると、必ずしも鉄道オタクだけではないようだ。構内では車両の入れ替え中で、時代物の蒸気機関車が忙しく動いている。煙突が長いSLは、車体が青く塗られている。これぞ旧私鉄カレドニアン鉄道時代の生き残り機関車である。車体の青は、鉄道フアンの間で「キャレイ(カレドニアンの略)ブルー」と呼ばれている。私が「キャレイ・ブルーだ!」と言うと、傍にいた中年オタクが「そうだよ」と嬉しそうに相槌をうった。ホームに入線してきた列車の機関車を覗くと、車体の下にシリンダーが見えない。これは、シリンダーを内側に内蔵した「インサイド・シリンダー形式」である。日本の蒸気機関車に珍しい形式に、思わず「インサイド・シリンダーだ!」と叫ぶと、先刻の鉄道オタク氏はわが意を得たりとばかり「そうだよ!」と応じてくれた。

入線した列車は、ここから終点の「ボート・オブ・ガーテン」まで8kmを走る。客車はいずれも、マーク1型の保存車両である。いちおう最前部から最後部まで、7、8両の車両を見てまわる。最後部の車両に座を占めると、汽笛一声で列車が発車した。列車は時速2〜30kmくらいの速度で、ゆっくり走る。右手から現れたスペイ川の下流には、ウイスキーの醸造場が点在する。列車は川に沿って走ること20分余で、終点のボート・オブ・ガーテンに着いた。かつて線路は更に延び、ここからアバディーン方面に接続していたのだ。

 イギリスの鉄道史をひも解くと、「ビーチング・レポート(報告)」なる言葉が目に付く。これは1963年に赤字に悩むイギリス国鉄当局が、当時シエル石油の社長「ロバート・ビ−チング博士」に廃止対象の路線調査を依頼した。このレポートに基づいて、多くの赤字路線が廃止の憂き目に遭った。今日のイギリスでもビーチングの名前は、「鉄道の敵」として恨みの対象になっている。

イギリス各地に残る「保存鉄道」は、いずれもビーチングの廃止決定になった路線を、ボランティア団体が購入・保存しているものである。

終点の「ボート・オブ・ガーテン」に着いた列車は、30分ほど停車した後に折り返す。この間に、ホーム周辺を散策して時間を過ごす。たまたまホームに制服姿の職員を見つけ、保存鉄道の運営について訊いてみた。常勤のスタッフは3名で、後は非常勤のボランティアで運行されていると言う。運営資金は、数百名の賛助会員の会費と乗客の運賃で賄われているそうだ。

列車は再び走ること20分で、出発駅のアヴィモアに到着した。

「後記」その後、ストラス・スペイ鉄道と本線のホームは併設され、乗降の便が良くなったそうだ。また郊外の山上にはケーブルカーが新設されたそうである。インヴァネス訪問の読者に、アヴィモアでの途中下車をぜひお勧めしたい。

 

同じく「本シリーズその3」で紹介した最果ての終着駅「カイル・オブ・ロカルシュ」

です。以前は背景のスカイ島へフェリーの便がありましたが、この右奥に「スカイ大橋」が完成したので廃止されました。フェリーでスカイ島に渡る私の夢は、惜しくも実現を見ず終わりました。

このたびは、写真の挿入技術を覚えました。前の路線にさかのぼって写真を紹介しました。


 

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「ヨーロッパこだわりの駅;その4」         2003.3.17.

ダンディー                     (文責)角田昌夫

 ダンディーは、スコットランド東部の北海に面した港である。ダンディーと聞けば、皆さんは「伊達男のダンディー」を思い出すかもしれない。日本語では両者の発音が同じだが、英語ではスペルが異なるから念のため。

さて北東部の中心地アバディーンから南下した列車は、北海を左に眺めながら海岸を走る。この沖には北海油田が発見され、アバディーンを中心に石油景気に沸いたそうだ。走ること1時間余で、列車はダンディーに着いた。駅構内の配線はシンプルで、直線で2本のホームがあるのみである。階段を登り、ホームを跨ぐ駅本舎から外へ出る。目の前の入江に、一隻の機帆船が見えた。この船こそ、南極探険家スコットが乗船した「ディスカバリー号」である。彼はこの船で南極一番乗りを目指したが、ノルウェーのアムンゼンに先を越された。落胆した帰路で猛吹雪に襲われスコットは、部下5人とともに遭難死した。少年時代に見た「南極のスコット」なる映画に感銘した私には、あこがれの船との出会いである。スコットの遭難後、船は部下によってイギリスまで回航された。その後永らくロンドンのテームズ河畔に繋留展示されていたが、近年になって建造地のダンディーに保存されることになった。なお同じく南極探検家シャクルトンの乗船「テラノヴァ号」も、この地で建造されている。

駅の背後には低い丘陵が連なり、斜面に並ぶ家々の白壁がまぶしい。ダンディーには、有名な「3J」があるそうだ。それらは亜麻(ジュート)ジャム、そしてジャーナリズムだ。いずれも、過去にダンディーが貿易で栄えたことを物語る証拠である。メインストリートを歩くと、両側の屋根や軒に鴎が群がって鳴く。ネコに似た泣き声は騒々しいが、港の風情を高めてくれる。高台に立つと、目の前に細長い入江が広がる。これは氷河の侵食で出来たフィヨルド(峡湾)で、ノルウェーに多く見られる地形である。スコットランドにも同種の氷河地形が多く、湖はロッホ(または、ロック)、入江はファースと呼ばれている。いま見下ろす入江は、上流から流れ込むテイ川に因んで「ファース・オブ・テイ」と呼ばれている。ダンディーを発車したエディンバラ方面の列車は、左に大きくカーブするとファースを渡る。ここに架かる長大な鉄橋が、「テイ橋」である。ダンディー訪問の記念に、このテイ橋を渡ることにした。

 幅広い入江を持つイギリスには、しばしば長大な鉄橋が必要になる。その代表は、エディンバラ北方の「フォース橋」である。この橋の訪問記は、私の「イギリス鉄道の旅シリーズ」で別途紹介した。テイ橋はフォース橋に先立って、1878年に建造された。ところが完成したばかりの橋は、1879年12月に大嵐に遭い崩壊した。折しも橋を通過中の列車が川に転落し、75名の犠牲者を出した。この事故は地元の詩人により詩に謡われ、イギリス全土に広まった。今日の橋は、1887年に再建された新しい橋である。新しいと言っても、建造以来すでに100年以上の年月が経っている。全長が3.2kmで水面からの高さが24mの橋を、85の橋脚が支えている。

エディンバラ方面から逆方向で接近した列車は、ゆっくり左に曲がると橋を渡る。幅広い入江の対岸には、ダンディーの市街が一望に開ける。スピードを落として橋を渡る列車の右手には、崩壊した古い橋脚の跡が残っている。この辺りは海と川の境にあるので、海水と真水が潮の満ち引きで入れ代わるらしい。今は潮の動きがなく、水面は鏡にように滑らかである。渡り終える直前に列車は大きく右に曲がり、まもなくダンディー駅のホームに進入した。

北海を見下ろすダンディー駅を思い出すと、私の脳裏には空を舞い飛ぶ鴎の姿と鳴き声が今なお鮮明に蘇ってくる。

「後記」

 北海に面したダンディーは、スコットランドの高地地方に較べるとやや地味な場所です。訪れる人が少ない地方だけに、新鮮な発見もあるかと思います。エディンバラ見学を終えた読者には、一度ダンディーと「テイ橋」への訪問をお勧めしたい。

 

 

 

 

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「ヨーロッパこだわりの駅;その3」      2003.2.24

 

カイル・オブ・ロカルシュ           (文責)角田昌夫

 引き続き、スコットランドの駅を紹介しよう。前回紹介したパースからスコットランド中央高地を横断すると、北部スコットランドの中心地「インヴァネス」に着く。ここから更に北に向かって、二本の路線が延びる。一本は真っ直ぐに北上し、最北端の「サーソ」「ウィック」に行く。もう一本の路線は途中のディングウォールから西に折れ、今回の「カイル・オブ・ロカルシュ」に着く。これら二本の路線は、「Far North Line(最北線)」と呼ばれている。ここに図式化できないので、読者の皆さんにはスコットランドの地図を開いて頂けると有り難い。

ケルト系住民が住むスコットランドでは、近年かれら固有の言語である「ゲール語」の復活が進められている。スコットランド内の駅には、英語と併記してゲール語の駅名が表示されている。「LOCHALSH(ロカルシュ)」の「CHA」は、ゲール読みで「ハ」と強い発音らしい。これは英語系の住民に難しい発音らしく、しばしば「カ」とも発音されているようだ。従って「ロハルシュ」とも表記されるが、ここでは「ロカルシュ」をとった。

 朝10時47分にインヴァネスを出た列車は、丘を越え谷を渡り走ること2時間余で終点「カイル」に近づく。右手に長い入江が現れると、列車はしばし岸辺を走る。小波一つ立たない水面は、湖ならぬ氷河で形成されたフィヨルド(峡湾)である。この辺りは硬い岩盤が連なり、開通までに長い年月を要したそうだ。13時15分、列車はスピードを落とすと、カイル・オブ・ロカルシュのホームに到着した。駅舎とホームの背後には狭い海峡があり、その対岸にはスカイ島を配したお馴染みの風景が現れた。見渡すと、ホームの端にあるはずのフェリー乗り場がない。実はここから対岸のスカイ島に、フェリーで渡るのが私の夢であった。聞けばこの上手に「スカイ橋」が完成し、フェリーは廃止になったとか。残念なことに、永年の夢は実現しなかった。

構内の配線は、ホーム片面の一線のみ。到着した列車は、そのまま折り返すシンプルな配線である。隣りでは、貨物線らしき線路を敷設中であった。

さて帰りの列車まで、4時間ほど時間がある。駅舎を出て陸橋で線路を渡ると、観光案内所があった。その向かいには、スカイ島へ渡るバス停留所がある。時間表を見ると、バスは先刻出たばかりのようだ。次のバスまで時間があるので、歩いてスカイ橋を渡ろうと思ったがかなりの距離らしい。たまたま海峡に面した岸辺に、素敵なホテルを見つけた。ここで急遽スカイ島訪問を止め、ホテルでゆっくり休むことにした。このように予定を柔軟に変更出来るのが、個人旅行の強みである。ホテルの玄関で来意を告げると、丁重に奥のラウンジへ案内される。海峡を目の前にした席に着き、アフタヌーン・ティをオーダーする。例によってポットいっぱいの紅茶を、なみなみとカップに注ぐ。目の前に陽光にきらめく海峡と、逆光に黒いシルエットを描くスカイ島の対比が美しい。先ほど列車から降りた観光客は、どこに消えたのだろうか。当ホテルには、その姿がない。お茶の時間も終わり、やや時間を持て余す。駅に戻り石造りの駅舎に入ると、片隅に鉄道模型店があった。これは、鉄道フアンとして見逃せない。陳列棚には、イギリス鉄道の名車両が数々並んでいる。中には、小生の好きな車両もある。店の主人も退職した鉄道屋らしく、私の質問に気軽に応じてくれる。私の好みの40型ディーゼル機関車を見つけて、ひとくさり薀蓄を傾けてしまった。時ならぬ異国のフアンの出現に、主人は「おや、良く知っているね」と喜んでくれた。

 帰りの時間が来ると、乗客が三々五々と現れる。ホームに入線してきたディーゼルカーに乗り、私の御用達である最後尾の窓際に席を占める。エンジンもひときわ高く、列車はホームを離れた。去り行く車窓には、海峡を隔てたスカイ島が浮かび上がってきた。スカイ島を背景に抱いたカイル・オブ・ロカルシュ駅は、今でも私の脳裏には鮮やかに焼きついている。

 

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「ヨーロッパこだわりの駅;その2」

パース                        (文責)角田昌夫 2003.1.29

 マックス社のお話しによると、今年は「ハリー・ポッター」の影響でスコットランドがブームになりそうとか。そこで本シリーズも、スコットランドの「こだわり駅」を幾つか紹介してみたい。

その前に、先週は厳冬下の北海道を鉄道で旅してみた。旅のメインに、留萌から海岸に沿って増毛を目指した。たった一両のワンマンカーは、雪と氷に埋もれた寒村を走る。ホーム一面を残す増毛駅は、辛うじて廃線を免れた姿を見せている。人影のないホームに立つと、ふとスコットランド最果ての駅を思い出す。場所は違えど、風景に変わりはない。まだまだ日本の旅にも、新しい発見があるものだ。

閑話休題、スコットランドに戻ろう。パースと言えば、皆さんはオーストラリア西部の都市を頭に浮かべるに違いない。しかしパースの本家は、スコットランドの中央部にある。アメリカのボストンも、本家ボストンはイギリス東部にある。イギリスを旅していると、しばしばこの種の例に出会う。かつてスコットランドの首都であったパースは、わが国の京都にも喩えられる歴史の都である。文豪サー・ウォルター・スコットは、「パースの麗しき乙女」でパースを有名にした。今日でも彼の作品に因んで、パースは「麗しき都(Fair city)」と呼ばれている。ここパースは、スコットランドの東西南北から鉄道が集まる十字路でもある。何度か通過しながら降りたことがないパースであったが、先年敬意を表して降りてみることにした。

11時17分にアバディーンを出発した列車は、北海沿いに一路南下する。ダンディーを過ぎると、左にエディンバラ方面の本線が別れる。テイ湾に架かる長大な「テイ橋」が、左手の車窓に広がる。列車はテイ湾からテイ川に沿って、上流を目指して走る。両岸を緑に囲まれた川を溯ると、やがて斜めに鉄道橋をわたる。テイ川が左岸から右岸に変わったところで、13時7分パースに到着した。エディンバラ・グラスゴー・インバネス・アバディーン方面の四方向から路線が集まるパース駅は、巨大なドームに覆われている。4方面に分かれたホームは、イギリスの駅に良く見られる屋根の下で跨線橋がホームを結んでいる。

1847年に建造された駅には、ヴィクトリア女王がバルモラル宮殿への行幸の際によく立ち寄ったらしい。駅舎内には、女王が朝食を摂った貴賓室がある。複雑な回廊を案内表示に従って歩くと、正面玄関にでた。正面から眺めた駅舎は、ヴィクトリア時代の堂々とした石造り建築である。地図を片手に駅前の通りを歩き、街の中心に向かう。目抜き通りを過ぎると、澄んだ流れに差し掛かった。これぞパースを貫流するテイ川の流れだ。この辺りは中流に属するのだろうが、かなりの川幅である。対岸から眺めると、教会の尖塔を映した川面が美しい。再び目抜き通りを歩き、駅に戻る。

最前駅舎を出た時に、駅前に立派なホテルがあるのを見た。これまた、ヴィクトリアン建築の壮大な建物である。ロビーに入ると、受付のスタッフに「お茶が飲みたいのですが」と申し出る。彼は典型的なイギリス風の物腰で、「どうぞお入り下さい」と奥へ案内してくれる。部厚い絨毯と家具に囲まれたラウンジに入り、ソファーに座る。間もなくティーセットが運ばれてきて、紅茶が出された。折りしもアフタヌーン・ティーの時間で、スコーンを初め各種のケーキも出された。まともに食べると、一食分に当たる量になる。紅茶のポットも大きく、優にカップ5,6杯はとれる。日本では、余りお目にかかれない豊かさである。30分ほど寛いだ後、再び駅に戻る。駅舎に入り、四方面のホームをチェックする。巨大なドームの下で、方向表示に従ってホームを歩く。表示さえチェックすれば、行く先を誤ることはない。

そろそろ帰路に着く時間になり、「インヴァネス」方面のホームで列車を待つ。今回は一等車を利用するので、ホームの先頭部分に立つ。定刻になるとエンジン音を響かせ、お馴染みの「スーパー・スプリンター型」ディーゼルカーが入線してきた。14時55分、ディーゼル音もひときわ高く、列車はパースを離れた。上流で再びテイ川の清き流れを渡ると、列車はインヴァネス目指して一路北上した。


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「ヨーロッパこだわりの駅;その1」

スコットランド北西

グレンフィナン駅              (文責)角田昌夫

 話題の映画ハリー・ポッター最新作「秘密の部屋」の予告編を見ていたら、懐かしい場所に出くわした。主人公が乗る車が、鉄道橋の上で蒸気機関車に追いかけられるシーンである。この鉄道橋こそ、スコットランド北西部にある「グレンフィナン橋梁」である。ここで敢えて「鉄橋」と呼ばないのは、この橋が世界最初の「コンクリート橋」だからである。

スコットランド北西部の中心地「フォート・ウィリアム」から、北西端の「マレイグ」に列車で向かう。しばらく湖畔を走った列車が、内陸の山越えに掛かる。乗ること1時間で突然視野が開けると、列車は開けたグレンフィナンの谷に出た。左にカーブした長大な橋梁が、一気に谷を越える。列車は、橋の中央でしばし停車する。今までオシャベリしていた観光客も、一斉に左側の窓により谷を見下ろす。はるか彼方には、谷に入り込んだ入江が見える。

全長400メートルの橋は12の橋脚を有し、今を去ること100年前に建造された世界最初のコンクリート橋だ。再び発車した列車は谷を渡りきると、「グレンフィナン駅」に着いた。2面の島型ホームの下り側には、ヴィクトリア時代の建築様式を残した駅舎がある。無人駅であるが中を覗くと、この沿線の博物館になっていた。開設以来の歴史を物語る資料や記念品が、展示されている。

ホームから降りる道をたどって、入江に向かう。日曜日の朝とあってか、人の気配がない。道の真ん中に、黒い犬がいる。犬嫌いな私は恐る恐る近付くと、「イージー、イージー」と英語で声をかけてみる。幸いおとなしい犬とみえて、尾を振って近付いてきた。木立からチラチラ見える入江を目指して、道をたどると岸辺に出た。この入江は「Loch Shiel」と呼ばれているが、LOCH(湖)ならぬ海につながる入江である。岸辺の中央には、頂上に銅像を戴く塔が立っている。今を去ること150年前、スコットランド独立の使命を抱いた「チャールズ王子」が、亡命地フランスから海路でこの岸辺に上陸した。スコットランド各地の独立派(ジャコバイト)の族長は、この岸辺に王子を出迎えた。後に王子は「カローデンの戦い」でイングランド軍に敗れ、スコットランド独立の夢が消え果た。高さ30メートル余りの塔に入り螺旋階段を登ると、チャールズ王子の像が立つ頂上に出た。身を乗り出すと落ちそうに狭い頂上から、入江と谷の展望が開けた。

 近くに観光センターを見つけ、中に入ってみた。受付の女性職員に「付近の地図がありますか?」と聞くと、「探しておきます」と言う。館内の展示を見ていると、先ほどの職員が向こうで「あのジェントルマンが」と言っている。「ジェントルマン」とは俺のことかと、まんざら悪い気はしない。

再び駅に戻る途中で、小さいながらも素敵なホテルを見つけた。中に入って、「お茶が飲みたい」と言うと、品の良い女性がニコヤカに応対してくれた。お茶を飲みながら顔を上げると、壁になにやら文章が掲示されている。良く見れば、シエクスピアの文章ではないか。聞けば、女主人が好きな言葉だという。スコットランドの辺鄙な場所で見つけたシエクスピアの言葉に、心が洗われる気分でお茶を頂いた。

 駅のホームに戻り、帰りの列車を待つ。ホームのベンチに座っていた老夫婦を見つけ、声を掛けてみた。イングランド東部のヤーマスから来たと言う。「私も行ったことがある」と言うと、とても喜んでくれた。暖かい陽射しとさわやかな風を受けて、しばし会話を楽しむ。私の英語も、この程度の会話なら何とかこなせた。

間もなく「マレイグ」方面から、ディーゼルカーがやってきた。列車は再び、グレンフィナンのコンクリート橋を渡る。遥か彼方の入江には、チャールズ王子の銅像を頂く塔がポツント見える。列車は橋の中央で再び観光ストップをした後、エンジンを再駆動するとグレンフィナンに別れを告げた。

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